Sakiko Yamaoka

 

 

 

 

アーティスト。移民、旅、都市、公共空間、感情の推移などを取り扱い、主にサイトスペシフィックな表現を行なう。パフォーマンス、ビデオ、写真、インスタレーションなどでプレゼンテーションする。孤立した作品ではマージナルなセンスを、参加者が関わる作品ではそこに起きる共犯的な感覚を想起させる。大抵の表現では、むしろ生真面目に取り組んでいるが、人々はそれをユーモアと感じる。20歳までに国内を15回以上転居した経験や、アーティストとして20カ国以上を訪れている経験などから、地政学的なことへの興味が高い。国内では、2005年にドイツのアーティストを招待したイベント「出会うための芸術(Art of Begegnung)」と「横浜港湾行為借景計画(Site-specific "aktion" in Yokohama)」の企画、海外では2007年に伝統あるグラスゴーの「National Review of Live Art」に招待されている。Dislocate には、2008年と2010年に参加。

 

 

 

滞在制作プラン

 

「コモンセンス」という言葉を私が最初に知ったのは、中学生の時で歴史の教科書からである。1776年にアメリカのトマス・ペインが制作したパンフレットのタイトル「コモンセンス」だ。そのパンフレットは、アメリカの独立戦争の初期の頃に、市民の団結の精神を鼓舞するために書かれ、大成功だったという。それは「常識(良識)」と和訳されている。そのように、それは、私には、政治的あるいは、教育的な言葉であるように感じられるのだけれど、これに対し、ディスロケイトのプロジェクトでは、「common」と「sense」を別々に訳すことで、「共通・感覚」とされ、固定的ではない、カジュアルな印象が与えられている。

ある地域に居住している人たち、インドとラオスから来るアーティストたち、5年日本に暮らしているイギリス人のキュレーター、若いスタッフの皆さん、そして私。短い出会いの中での共有は、「笑い」や「お楽しみ」や、もしかしたら「同情」が一番、手っ取り早いし、安全で「良識的」かもしれない。しかし、そのような予定調和ではなく、何かこれまで意識しなかった「共通感覚」を更新する希望、つまり、トマス・ペインの成果に習って大げさに言えば「新世界の幕開け」を、期待することはできるだろうか。それとも、夢のように現れて、霧のように消えていく、マレビトの作法をとるのであろうか。どちらにせよ、そのようなプロセスに「アート」が活用されるのではなく、「アート」が刺激されるのであれば、是非、挑戦してみたいと思う。